『埼愛キムチ日記』に寄せて

埼玉朝鮮初中級学校60周年に連帯して、埼愛キムチの動画『埼愛キムチ日記』を作成したメンバーによる、動画に寄せてのメッセージです。動画は2021年6月1日に公開しました。動画『埼愛キムチ日記』が公開されました

猪瀬 浩平

埼愛キムチの受け取りのため何度も朝鮮学校には何度も行っている。一人で行くこともあれば、家族で行くこともある。子どもを連れていくと、キムチを受け取るまでの間、朝鮮学校の遊具で彼女たちは遊び始める。学校には顔見知りになった子どもや保護者、先生たちがいるので、私も子どもたちも様々に挨拶をする。キムチを受け取りにいくことは、朝鮮学校にいる人たち会いにいくことでもある。
 
この作品の撮影のため、朝から朝鮮学校にいった。膨大な量の注文にこたえるため、オモニもアボジも、青年たちも仕分け作業や事務作業に没頭していた。その間も子どもたちのこと、家族のこと、学校のことについて話題は途切れなかった。手際よさという言葉では足りない。家族も参加する様々な行事があり、学校を支えるための様々な活動があり、その中で人と人との結びつきが生まれ、作業の段取りが洗練されていく。埼愛キムチの作業の手際よさに立ち会いながら、自分が通った学校にはそれがなかったことを想う。そしてその手際の良さが、日本社会の様々な差別と向き合いながら生まれてきたことでもあることを想う。
 
少し長い映像だけれど、カメラの前で語ったオモニの、先生たちの言葉を聞いてほしい。彼女たちの後ろ側に聞こえてくる学校の、子どもたちのざわめきを聞いてほしい。キムチを買いに来たお客さんたちの言葉を聞いてほしい。そして、あなただったら何を語るのかを考えてほしい。できたら、埼愛キムチを注文し、味わいながら。そのとき、あなたの埼愛キムチ日記が生まれるはずだ。
 
撮影の途中、校長先生が語った「私たちは日本人ではないが、埼玉県民です」という言葉が頭を離れない。私も埼玉県民である。そして埼玉県は朝鮮学校への補助金を10年以上にわたって停止し、そして県議会は補助金停止するための決議をしている。必要なのは彼ら、彼女らの支援ではない。私たちの生きる地域を、誰もが共に生きる場所にどう変えていくのかということだ。そしてそのように変えていけたときに「埼玉県民」という言葉は、はじめて強い意味を持つ。キムチはそのための入り口である。
須永 和博

最近、週末になると、見沼田んぼ福祉農園に2歳と6歳の子どもを連れて通っている。農園には、朝鮮学校に通う子どもたちやその両親もやってきて、農作業を一緒に行なうこともある。お昼どきには、オモニたちがチヂミを振舞ってくれたりもする。子どもたちは、農作業に飽きると、一緒になって虫をとったり、木登りをしたりして遊んでいる。こうやって、少しずつ時間と空間を共有するようになると、「在日朝鮮人」というカテゴリーではなく、一人一人の多様な「顔」が見えるようになってくる。
 
差別や偏見は、相手を単一の属性でのみ捉えようとするときに生まれるものである。「在日朝鮮人」というカテゴリーでのみ相手を捉えている限りは、「日本人/在日朝鮮人」という枠組みは固定化され、その境界が揺らぐことはない。しかし、たとえば「埼玉県民」、「同じ年頃の子どもをもつ親」と捉えてみたらどうだろう。
 
『埼愛キムチ日記』には、在日朝鮮人のオモニたちの声が紹介されている。子どもを思いやる親の気持ちが語られるとき、私は親としての自分をそこに重ねてしまう。だからこそ、埼玉県の朝鮮学校に対する補助金停止は、他人事とは思えないのである。
 
埼愛キムチを受け取るために、朝鮮学校を訪れ、子どもたちが校庭で遊ぶ姿を眺めたり、少し言葉を交わしてみたりする。そんな些細なことでも、カテゴリー化の罠から自由になれるかもしれない。その意味で、埼愛キムチとは、「日本人/在日朝鮮人」という境界を超え、別の形でつながり直す可能性をもった活動でもあるのである。

小田原 琳

私は義務教育時代、学校が嫌で嫌でたまらなかった。学校で行われることの大半は、こどもをたわめて型にはめることを目的としているように感じていた。早く出ていきたいとしか思っていなかった。

この動画を見ていると、埼玉朝鮮学校の先生たち、保護者たち、在日のコミュニティが、こどもたちをどれだけ大切に思っているかを感じる。あのころ、こんなふうに感じられたら、学校への私の気持ちもいくらか変わっていたかもしれないと思うくらいだ。

でも、朝鮮学校の大人たちがこれほどまでにこどもたちを愛するのは、学校を取り囲む日本社会が、学校を愛していないからである。日本はあいかわらず、朝鮮半島にルーツをもつこの隣人たちから、選挙権をうばい、無償化排除・補助金停止によって学習権をうばい、差別によって名前をうばっている。

だから、うばっているその社会に属する私が学校をうらやむのはまるでおかしい。私のすべきことは、元気よく挨拶し、私にはわからない美しいことばで一生懸命勉強しおしゃべりするあの子たちが、学校の外でも、あるがままに愛されていると感じられる社会にすることしかない。  

あんなにいい学校でも、やっぱり学校や勉強がそんなに好きではない子はいるだろう。そんな子にもだいじょうぶだよ、といえる社会になれば、こどものころの私も少しは機嫌をなおしてくれそうだ。

李 全美

埼愛キムチの現場は活気にあふれている。

朝早くから大量のキムチを運び、ミスがないように数を数え、袋に詰めて、種類ごとにシールを付ける。注文数に応じての段ボールを準備し、箱に入れた後、さらに検品を行い、ブロックごとに数を合わせてから封をする…そんなあわただしい中でも家族の話や学校の話、近況報告などそこここで会話に花が咲いている。

映像を見て、その姿に感動を覚えたり美しく感じたりするかもしれない。

しかしこれらは本来であれば全く必要のない活動である。貴重な週末の時間、家族と過ごしたり、自分の時間を大事にしたり、または外で働けば賃金が発生する。それを学校のために無償で、時間を割いて働いているのである。

子どもに自分のルーツとアイデンティティを大切にしながら生きてほしい。そんなわずかな願いを叶えるためにそうせざるを得ない現状…

そしてこうした営みは埼愛キムチの活動にとどまらず朝鮮学校を支えるため、60年間あらゆる場面で行われてきた。

埼愛キムチ日記を観た方が、支援を超えて朝鮮学校に寄り添い、共に声を上げる仲間になることを切に願う。

小田原 澪

60周年を迎えた埼玉朝鮮初中級学校の、子どもたちによる人文字から起こされたそのロゴを見ていると、人文字としてはちょっとご愛敬なクネクネした部分も含めて、子どもたちの充実した学校生活が眼前に浮かび上がってくるようだ。

埼玉県からの補助金支給が止まって10余年。「足りない」状況の学校に入学し、卒業していった子たちもいるほどの長い年月が過ぎていることに、悔しさと不甲斐なさを感じずにいられない。

資金的に厳しいなかで、子どもたちを朝鮮学校に送っている保護者たちが、学校にカンパするために、埼愛キムチ頒布会のために集まり、働く。そこに朗らかな活気があることを動画から伝え知る。でも、本来なら、それぞれが、さまざまに、思い思いの過ごし方ができるはずの時間だ。

おいしいキムチをいただいて思いを馳せる。ささやかながらカンパの列に加わる。でも、それだけに留まっていてはならないのだ。自分を取り巻く社会を自ら変えていこうとしなければいけないのだと考えるとき、子どもたちの声が、保護者たちの声が、こだまして一層心に響く。