基調報告「これまでの活動とこれからの課題」(第7回公開学習会より)

中川律(有志の会共同代表)

みなさん、こんばんは。「誰もが共に生きる埼玉県を目指し、埼玉朝鮮学校への補助金支給を求める有志の会」、共同代表の中川と申します。長い名前の会ですが、仲間内では単に「有志の会」と呼んでいます。本日は、当会の第7回学習会に足を運んでくださり、ありがとうございます。本日の学習会のメインは、この後のフォトジャーナリストの安田菜津紀さんのご講演ですが、その前に少しだけお時間をいただいて、私どもの「有志の会」の活動についてご紹介いたします。

お手元に資料として、「有志の会」の「これまでの活動の一覧」というものがあると思います。それを見ながらお話を聞いていただくと良いと思いますが、私どもの「有志の会」は、埼玉県からの埼玉朝鮮学校への補助金の支給の再開を基本的な目標に活動しています。

2011年3月に、埼玉県は、1982年以来、埼玉朝鮮学校に支給されてきた補助金を停止しました。周知のとおり、2010年に高等学校段階の授業料を無償とする法律が制定されましたが、朝鮮高校はこの対象外とされてしまいました。また、これはあまり報じられていないのですが、全国の各地において、自治体が朝鮮学校に対して独自に支給していた補助金も停止されてしまうということも起き出してしまいました。埼玉県もこの例の一つと言うことができます。

さらに、埼玉県では、その一年後の2012年3月には、県議会の予算特別委員会において、「拉致問題等が解決するまで補助金予算の執行を留保すべき」との附帯決議が可決されました。それ以来、今日に至るまで、10年以上にわたり、埼玉朝鮮学校は、補助金を受け取ることができていません。

埼玉県は、当初、補助金停止の理由について、朝鮮学校には財務上の問題があるとしてきました。朝鮮学校側は、これに対して誠実に対応し、補助金支給の再開に向けて努力してきましたと聞いています。当初指摘された問題もクリアしてきました。しかし、それにもかかわらず、県側は、いわばゴールを自在に動かすように、当初とは異なる、どうしてそれが理由となるのか疑問のあることや、非常に細かい点まで問題であるとし、いつまで経っても前向きな話につながって行きませんでした。こうした状況が5、6年続いてしまったようです。

私どもの「有志の会」は、こうした状況の中で結成されることになりました。埼玉朝鮮学校の関係者の方々が、なんとか解決策を探ろうと、大学に勤める研究者や埼玉で市民活動に多く関わっている者にいろいろと相談してくださったのがきっかけです。

2017年の秋くらいから、集まりを持つようになり、2018年2月には、「誰もが共に生きる埼玉県を目指し、埼玉朝鮮学校への補助金支給を求める有志の会声明」を発表しました。この声明には、300名以上の方が賛同してくださり、県庁での記者会見や知事室への申し入れ、県議会各会派との面談も行いました。

そして、県の担当課とのやりとりも始めました。その中では、財務上の諸問題ということがどのようなことなのかと説明を求めても、明確な回答は得られませんでした。そんな中、上田清司知事は、議会答弁において、補助金の再開の意向がない旨を表明し、新たに、補助金の不支給の理由として、財務上の問題に加えて、県議会の附帯決議の存在と、朝鮮総聯と朝鮮学校との関係が教育基本法の禁止する「不当な支配」に当たる疑いがあるということを挙げました。「有志の会」は、こうした知事の答弁の問題点を指摘する見解も発表しています。

見解の発表後も、「有志の会」は、県の担当課とのやりとりを続け、2019年2月には朝鮮学校に財務上の問題はないことが確認されました。残りの不支給の理由は、県議会の附帯決議の存在と、「不当な支配」の禁止に引っかかる疑いがあるという二点ですが、これらについても、我々としては、不支給の理由として成り立つものではないと考えています。ここで詳しくお話しすることは時間の関係上できませんが、「有志の会」のホームページにおいて、各論点について見解を発表しています。また、これら二点の理由に特化して解説する動画も作成しています。「活動の一覧」にQRコードを載せていますので、是非、ご覧ください。

一点だけ言うとすると、県議会の附帯決議は、拉致問題の解決がされるまで朝鮮学校への補助金予算を執行すべきではないとするものですが、そもそも朝鮮学校に補助金を支給しないことが拉致問題の解決にどう役に立つのかまったくわかりません。目的と手段があべこべです。朝鮮学校の人々は、自分達にはどうしようもない問題について責任を取れと言われているのです。

こうした私たちの主張に対しては、朝鮮民主主義人民共和国との関係がある学校なんだから仕方がないではないかと言われるかもしれません。しかし、ちょっと考えてみてください。そんなことを言ってしまったら、朝鮮民主主義人民共和国に対して悪感情を抱く方々がいることを背景に、在日朝鮮人の通う学校だからという理由だけで不利益に取り扱うのだと言っているのと同じです。アメリカ人だからとか、被差別部落出身者だからとか、黒人だからとか、女性だからとか、ある人々の属性のみを理由に不利益に取り扱うのはおかしい、と多くの方々は感じるのではないでしょうか?それであれば、在日朝鮮人の通う学校だからという理由だけ不利益に取り扱うのも極めて不当なもののはずです。

県民の代表者から構成される県議会が、自ら差別に加担する宣言を堂々と行い、それを盾に、補助金の不支給を正当化する県の姿勢は、本来は強く非難されるべき問題では無いでしょうか?私自身は、スキャンダルとして報道されてもおかしく無いことではないかと思いますが、残念ながら、あんまり注目されていません。

現在も、県は、補助金の不支給の方針を堅持しており、状況の改善の兆しは見られません。「有志の会」のメンバーは、引き続き粘り強く、市民の方々にこの問題を訴えることで、何とか補助金の再開に漕ぎつけようと考えています。この問題は、私たちの社会がどのような社会であるべきなのかについて正面から問いを投げかけるものだと思います。どうかご支援をお願いできると幸いです。

さて、最後に、「共に生きる」ということについて。「共に生きる」とはどのようなことでしょうか。みんなが、恋人同士のように、あるいは友人同士のように、仲良くせよ、肩を叩き合って笑い合えということなのでしょうか?もしそうだとしたら、少なくとも私には無理です。むしろ、多少ひねくれたところのある私としては、勘弁してくれ、やなコッタという感じです。

「共に生きる」とは、おそらくもっともっと要求度の低い、些細な要求であるはずです。例えば、みんなが、街を歩いていて、いきなり見ず知らずの人から殴られたり、蔑まれたり、暴言を吐かれたりせず、安心して過ごせるという程度のことのはずです。なぜ、私たちは、この程度のことを実現できないのでしょうか?実現するにはどうすれば良いのでしょうか?本日は、こうしたことを考える良い機会になるのでないかと思っています。

私からの話は以上です。本日はどうぞよろしくお願いいたします。

第7回公開学習会開催のご報告
基調報告「これまでの活動とこれからの課題」(第7回公開学習会より)
基調報告への応答
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