声明 〈わたし〉たちにとって大切な子どもたちのために
わたしは、わたしが大切にしていることを、誰かに否定されたくはない。
だから、誰かの大切にしていることを、尊重したい。そして誰かが大切に尊重していることを、その人の存在自体を、ほかの誰かが攻撃的な言葉で否定することを、許すことはできない。
それはあたりまえで、それほど難しいことではないと思っていた。
それがあたりまえでない世界に、いま、わたしは、生きているようだ。
わたしの周りには、誰かの尊厳を傷つける言葉が溢れている。
わたしの暮らす地域の行政や議会が、そういう言葉を食い止める力は弱い。本当は強い力がある筈なのに。
行政の政策は、議会の議決は、臆面もなく発せられる言葉の後ろ盾となることも、おずおずと語られる言葉の後押しになることもある。新型コロナウイルスの不安がひどく高まった2020年の春、さいたま市が、その他の子ども向け・高齢者施設には配ったマスクを朝鮮学校幼稚部に配らなかったとき、そのことに怒り悲しむ声とともに、そのことを当然だと語る言葉は大きく響いていた。埼玉県は、当時学校が抱えていた債務の問題を理由に不支給にした朝鮮学校への補助金を、その債務が完済された後も支給していない。埼玉県議会は拉致問題を理由に補助金を支給すべきではないと議決し、それが県の不支給の方針の後ろ盾にもなっている。朝鮮学校が外部団体の「不当な支配」を受けていることが、不支給の新たな理由として加えられたが、「不当な支配」がいかなるものなのかについて説明はされていない。そういう行政や議会の姿勢が、朝鮮学校に対する不信感を支え、朝鮮学校に通う子どもたちや、通わせる親たち、そこを拠り所にする人びとに対する差別を許し、そしてその力を恐ろしいまでに大きく育ててしまう。
そんな行政や議会に対して、異議を唱え、そしてその姿勢を変える力を、この地域の人びとはまだ持っていない。
わたしが生きているのは、そういう世界である。
* * *
この世界で、〈わたし〉たちは活動を始めた。
2018年2月、〈わたし〉たちは、埼玉県の朝鮮学校への補助金再開を求めて声明を発した。子どもたちが、母国語(継承語)である朝鮮語や朝鮮の歴史や文化を学ぶ朝鮮学校は、在日朝鮮人(国籍を問わずかつての日本による植民地支配の結果として日本に在住することとなった朝鮮半島にルーツを持つ人々の総称)の人々にとって自らのルーツを確かめるためにも重要な存在である。そればかりでない。この社会で生きる子どもたちのために日本の歴史や社会制度を学ぶカリキュラムが豊富に組まれ、日本の学校同様に子どもたちの成長と発達に資する生き生きとした教育活動が行われ、地域住民との交流も積極的に推進されている。そうやって自分たちのルーツを大切にしながら、埼玉の地域社会を構成する学びの場に対して、朝鮮民主主義人民共和国の拉致問題や核開発など政治外交上の問題で朝鮮学校の補助金を停止することは極めて不当である。そしてそれは、埼玉県がこれまで表明してきた「埼玉県人権教育実施方針」や「埼玉県人権施策推進方針」、埼玉県議会が全会一致で採択した「子どもの権利条約の普及啓発を推進する決議」とも矛盾するものである。
このような声明を発したあとで、〈わたし〉たちは、様々なスタイルで対話の場を持った。
朝鮮学校の補助金問題や、朝鮮学校差別にかかわる埼玉県の様々な部局の人びとや様々な考えの県議会議員たちと対話を続けた。考え方を異にする人もいれば、ともに動いてくれる人もいた。
地域で暮らすための活動を続ける障害のある人たちや、性的マイノリティの権利擁護の活動をする人たち、埼玉で暮らす外国をルーツとする人たちの差別に抗して立ち上がった人たちとも出会った。その出会いは、地域の中で、そして行政や議会のなかで働く人たちのなかで賛同者を増やしていくための、粘り強くしなやかな実践の姿勢を教えてくれた。
〈わたし〉たちよりもまえに、朝鮮学校とともにあろうと活動してきた人たちからは、この地域で行政も含めてともにあろうとした歴史があることを教えられた。〈わたし〉たちよりもあとに、朝鮮学校とともにあろうと活動を始めてきた人たちからは、〈わたし〉たちの活動が特定の言語――それはどこかで学者の言葉や、自分の意見には耳を傾けられることが当然だと思ってきた男性の言葉になっている部分があった――に頼っていたことを教えられ、コミュニケーション手段や人とのつながり方を異にする人たちへと言葉を伝えていくための表現を学んだ。
必要なのは訳知り顔で、多様なことを受け入れる態度ではない。この地域に蓄えられた実践の厚みを確かめ、対話のなかで自分の価値観や思考法を疑い、そしてそれを必要であれば修正する勇気である。
何より、朝鮮学校に通う子どもたちや、関わる大人たち、そして朝鮮学校という空間そのものが、〈わたし〉たちに対話を開いてくれた。授業や部活動にふれ、自力で開設された保健室にふれ、学校を支えるためのボランティアにふれ、そして子どもや大人の様々なおもいにふれた。〈わたし〉たちは自分たちがあたりまえだと思って使っていた言葉――たとえば〈わたし〉たちは、朝鮮民主主義人民共和国のことをなんの迷いもなく北朝鮮と呼んでいた――を疑い、そして朝鮮学校が〈わたし〉たちのような来訪者を信じて、扉を開く決断をすることの重みを考えるようになった。
朝鮮学校に通う子どもたちはこの地域で育つ子どもたちである。朝鮮学校はこの地域にある学校である。〈わたし〉たちにとって大切な子どもたちであり、大切な学校である。他の子どもたちや、他の学校と同様に。
より多様になった〈わたし〉たちは、より強いおもいで、朝鮮学校の補助金再開を求める。
自分と異なる他者の存在に敬意を払い、交流し対話していくこと――それによってこの地域に暮らす人々の多様性は、混迷する未来を切り開く力に変わる。そうやって生まれる未来を、子どもたちに引き継ぎたい。
あなたも、〈わたし〉たちに加わってくれることを、願う。
外国人学校・民族学校の制度的保障を実現するネットワーク・埼玉
誰もが共に生きる埼玉県を目指し、埼玉朝鮮学校への補助金支給を求める有志の会
朝鮮学校とともに歩み、私たち・ウリの問題として補助金停止を考えるプロジェクト
埼玉から差別をなくす会
「人生100年時代」を生きるぱっとしない中年のいまと未来を考える まんなかタイムス
埼玉障害者市民ネットワーク
2025年6月1日