○○○から見る朝鮮学校 その4  スポーツ

2021年1月9日に閉幕した全国高校ラグビーに出場した大阪朝鮮高級学校ラグビー部は、悲願の決勝進出はならなかったものの、10大会ぶり3度目(第89回、第90回大会以来)の4強入りを果たしました。全国大会常連校と比較しても圧倒的に少ない部員数での「花園四強」です。

それでは、朝鮮学校が各種の「公式試合」に出場できるようになったのはいつからなのでしょうか?

全国高等学校体育連盟(高体連)は、加盟資格を学校教育法1条に限定し、各団体もこれにならっていました。1990年5月、朝鮮高校の高体連加盟問題は大阪朝高・バレーボール部を巡る出来事が発端となり、動き出しました。

同年3月、同部が大阪高体連への新規参加を認められ、府の春季大会へエントリーを済ませますが、一転、高体連側の「ミス」と判明し、途中で辞退させられたのです。

同年6月から8月にかけて、全国の12(当時)の朝鮮高級学校校長会が全国高体連へ加盟申請書を提出します。

私たちは日本に住む高校生です。私たちは悔しい思いをしましたが、後輩達にはこんな思いをさせたくありません。どうか道を開いてください」。当時、同部のキャプテンであった生徒の言葉です。

1990年11月には大阪府内の大会に限り、参加が認められ、その後、京都と兵庫も続き、やがて全国レベルにその動きは広がっていきます。しかし、全国高体連理事会は朝鮮高級学校の加盟と大会参加のいずれも認めませんでした。

数校の朝鮮高級学校サッカー部が日弁連に人権救済申し立てを行い、1992年10月には、「朝鮮高級学校に加盟を認め、各種大会に出場できるよう指導、処置を求める」勧告が文部省(当時)に、要望が高体連に提出されました(1991年3月には高体連に先駆けて高野連が外国人学校に門戸を開いた)。

その後、門戸開放を求める運動は盛り上がります。日本学校の高校生や日教組もこの動きに参加しました。このような動きに押された高体連は1993年5月の理事会で朝鮮高級学校を含む専修・各種学校に対し、全国高等総合体育大会(インターハイ)への参加を承認、同年11月の理事会で正式決定しました(加盟は認めずあくまでも「特例措置」)。インターハイ元年の1994年には朝鮮高級学校のボクシング部の生徒が出場、1996年までに高体連主催の全競技大会への参加が可能となったのです(中体連は1997年から)。

今年の大阪朝鮮高級学校ラグビー部は「先輩の姿を見て朝高でラグビーをしたいと思ってもらえるように今年のチームはスローガンを『使命』に決めた」とのことです。自分たちが全国の舞台で活躍する姿を見せることで、少しでも未来の朝鮮学校生徒が増えて欲しいとの願いが込められていると聞きます。言うまでもなく生徒数減少の大きな原因は保護者の授業料負担の重さであり、それは国(高校無償化制から排除)や大阪府の財政支援がないためです(2012年度に補助金停止)。

高校生がこのような『使命』を感じることなく、伸び伸びとスポーツに打ち込めることこそが、本来のあるべき社会。これが埼愛キムチの願いです。

埼愛キムチ新聞第4号(2021年1月16日発行)より


「埼愛キムチ新聞」は埼愛キムチの頒布会毎に発行しています。このページやPDF版を、周りの方々にぜひとも広めていただき、埼玉朝鮮学校をはじめ朝鮮学校の現状を多くの方々に知っていただけたらと思います。