基調報告への応答(第7回公開学習会より)
金理花(有志の会事務局)
みなさん、こんばんは。有志の会の事務局で、普段は研究者として大学で研究と教育活動をしています、金理花と申します。私は2005年3月に埼玉朝鮮学校を卒業した卒業生であり、この有志の会が発表した声明の呼びかけ人の一人でもあります。今日は有志の会の活動報告に対する応答をすることになり、こうしてみなさまの前に立つことになりました。朝鮮学校卒業生の立場からの応答ということでこれからお話していきますが、いま少し紹介しましたように、私はこの有志の会の活動に結成した時から継続して関わってきた者であり、かつ在日朝鮮人の文化や歴史を学問的に勉強してきた経験がある者です。私がこれからお話することは、あくまでそういう背景を持つ人物が述べるコメントとして聞いていただきたいと思います。この日本社会でマイノリティとして生活していると、在日朝鮮人や朝鮮学校卒業生を代表する者のようにどうしても見られてしまうことがあります。ですが、在日朝鮮人や朝鮮学校卒業生にも多様な背景をもつ人がいるのは当然のことですし、そうであれば、私一人の意見が全体を代表することにはならないということはみなさんにもお分かりいただけると思います。マイノリティがいつも悩むこの代表性の問題について、本題に入る前にことわっておきたいと思ってまずお話をしました。本日はよろしくお願いいたします。
それでは本題に移ります。すでに述べましたように、私は結成の時からこの有志の会の運動にかかわってきました。この会が発足するきっかけとなった2018年2月の声明は、埼玉朝鮮学校への差別は埼玉県にかかわりのあるすべての人々が考えなければならない問題であるということをはっきり打ち出すもので、私自身これまでにない心強さと期待を抱いたことを覚えています。しかし同時に、この運動が今後どういう方向へ進んでいくのかという点で、少なくない不安があったことも事実です。
私が感じた不安とは、朝鮮学校の存在を知らない多くの日本の方々が朝鮮学校を見て・知るために、日本社会に向けて過度に開かせていくようなことになってしまわないかというものでした。確かに、朝鮮学校がどういう存在であるのかを知ってもらうことは必要です。私はそのこと自体を否定するつもりはありません。しかし、支援運動のなかには、朝鮮学校が在日コミュニティ内部に、つまり日本社会に対して内向きに閉じてきたことを問題にする声もしばしば聞かれます。せっかくかかわろうとしているのに、いつまでもそんな内向きじゃかかわれないし理解されないよということなのでしょう。
ですが、そういうふるまいの背景には、日本社会の理解を得るためにはすべての人を無条件に受け入れなければならない朝鮮学校と、それを認めるに足るのか品定めするマジョリティという不平等な関係性が見え隠れしています。私はそうした不平等な関係のもとで、日本社会に開かれた朝鮮学校にしていこうといった安易な取り組みにはあくまで反対の立場です。批判をするにしても、朝鮮学校がどうしてそうなってきたのか、なぜ内向きのコミュニティを大事にしてきたのかを理解することからはじめないと、対等な関係性とは程遠いものになるからです。それどころか、むしろ私が卒業した後の朝鮮学校は年々その処遇が厳しくなるにつれて、痛々しいくらいに自ら開かれた学校であろうとしているようにすら見えます。そんなこともあり、活動がはじまった当初は、今言ったようなことが私の頭をよぎり、そのたびに不安をかき立てていました。
しかし実際には、この有志の会の運動は私の不安とは異なった方向へ展開していきました。その詳細は、今の基調報告で述べられた通りです。中川さんの最後の言葉にあった、共に生きるということはもっと低い要求なはずなのに、どうしてできないのかという問いなおしにすべてが集約されていると率直に感じます。朝鮮学校が、在日朝鮮人が、ひいては様々なルーツ・属性を持つ人々がこの埼玉県で、日本社会で、共に生きていくために、できること・すべきことを一緒に模索して、行動する。そういう相互扶助の理念がこの有志の会の根幹を成していると思いますし、そうした活動の積み重ねのなかで私自身も、共に生きる社会づくりにかかわる当事者として何ができるのかを考えるようになりました。
最後に、少し視点を変えて、私の専門である音楽文化研究の視点から、一つの方向性を確認して終わりにしたいと思います。音楽文化研究のなかでも私が最近関心を寄せて学んでいるのが、ディアスポラと呼ばれる人々の音楽です。ディアスポラは移民や難民など故国から離散した人々を指す言葉ですが、朝鮮が植民地支配されたことで世界各地に離散した朝鮮人も、まさにディアスポラと呼ばれる存在にほかなりません。
このディアスポラの人々の音楽が取り上げられる場面においてよく注目されるのは、異国の文化と自民族の文化を融合し、新しく独自なものを創り出すという側面です。この新しく独自な文化を創り出すという営みは、ディアスポラにしかできないこととして注目を集めたり評価されたりするのですが、しかし実際には口でいうほど簡単なことではありません。なぜなら、文化の融合を実現するには、異国の文化に触れるという経験以上に、ルーツとなる自民族の文化が育まれていなければならないからです。離散を経験し自身のルーツとは異なる環境に暮らすマイノリティは世界中にいますが、多くの場合、自身のルーツにつながる文化に触れたり継承したりすることは困難を伴います。
そうした世界的な状況を想像すると、朝鮮学校が続けてきた営み、むしろその存在そのものが、非常に稀有なものであることがわかります。自身のルーツについて、言葉・歴史・文化を知ること、何よりもそれらが否定されることのない環境で安心して育つこと、これは民族的マイノリティとして生きることを余儀なくされている人々にとって大きな拠り所になりますし、2世世代以降にとっては故郷のようなものです。この拠り所・故郷が侵害されない社会になってようやく、共に生きる社会のビジョンというものがみえてくると、私は思うのです。この有志の会の活動が、補助金の再開を求めて行動していくその先に、こうしたビジョンが描けていけるのかが重要であると思いますし、きっとその方向に進んでいくものと確信しています。