○○○から見る朝鮮学校 その10 朝鮮学校・《ウリカペ ブックトーク『朝鮮学校児童・生徒たちの作文集』を読む》での感想②

2025年10月4日、東京・新大久保にある文化センターアリランでウリカペ主催のブックトーク「『朝鮮学校児童・生徒たちの作文集』を読む」が行われました(詳細は『埼愛キムチ新聞』第33号参照/「有志の会」HPに掲載)。その場で読まれたスタッフの感想を紹介します。

キム・ソヨン「名前のない『賞状』」

 朝鮮学校が、高体連が主催する公式試合に出場できるようになったのは、大阪朝鮮高級学校(当時)の女子バレー部を巡る出来事が発端となり、動き出しました(埼愛キムチ新聞第4号2021年1月16日発行より)。 

 わたしは中高陸上部だったこともあり、貰った賞状には自分の名前、種目、記録、そして学校名が記されていることは当然であると認識できる立場にありました。

 しかしキムソヨンさんは、都大会出場権を得られる自己新記録を出したにもかかわらず、手渡された賞状には種目、記録、学校、名前すら書かれていないただの「賞状」でした。それは自分がここにいるのに「いない」ことにされてしまうこと、存在が認められていないことと同義であり、計り知れない精神的なダメージに直結することは、想像に難くありません。

 キムソヨンさんは、『わたしがいまよりももっと良い記録を出して、必ずやウリハッキョの名をとどろかせてやる!』と自身を勇気づけながら練習を重ねていきます。

 しかし、本来なら出場権はすべてのこどもたちに平等にあるべきもので、出場権を得るためにひとより努力しなければいけないとキムソヨンさんに思わせてしまう構造は、明らかにおかしいものです。本来なら、自己記録更新を目指して部活動に励むことができる環境と時間、精神面にあるはずなのに、出場権がない現実と、その現実を変えるべく都議員と話す機会を得るなど、キムソヨンさんに大きな『負担』がかかっています。もちろんこの負担は、言うまでもなく負う必要などなかったものです。こうした『日本人』の差別による弊害は、現在進行形で続く補助金停止による差別と地続きにあります。

 朝鮮学校の子どもたちが子どもたちらしく、生きていくにあたって不必要な重い『負担』を負わせている現実を、わたしたち『日本人』が終わらせなくてはいけません。

(金澤)


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埼愛キムチ新聞第35号(2026年2月7日発行)より


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